ちちんぷいぷい木曜日の好きなコーナー「昔の人は偉かった」の近畿『湯治場巡り』。第15章となる今回は『和歌山編』。温泉処である和歌山を代表する温泉の一つ「日本三美人の湯」で有名な『湯龍神温泉』を目指す旅。350~400kmという長い長居道のりを、恐らく来年の夏くらいまでかけて歩くという過酷な旅です。今回は第2回(2日目)。
前回のゴール地点、海南市「きのくに温泉」をスタート。次の目的地である「栖原温泉」を目指します。今回は約30kmもの距離があるので2日に渡って目的地を目指すそうです。
1892(明治25年)創業、「紀州のかくれ湯」と呼ばれ地元に愛されてきた天然温泉。
「この温泉に入るとよく温まる」と好評だそうで、無味無臭で美肌成分のメタケイ酸を含んだやわらかなお湯が自慢。
(出典:楽天トラベル)
お食事付きの日帰り入浴プランもあるそうです。
今回の目的地はスタートから約15km先にある海南市「長保寺」。熊野古道に入り、藤白峠、拝ノ峠、2つの峠を越えていくそうです。しんどそう(^^;
熊野にある三つの神社(「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三社)を巡る熊野詣に使われた参詣道の総称で熊野参詣道とも呼ばれています。
まず最初に訪れたのが藤白神社。
平安時代は上皇・法皇や貴族らが熊野詣の際に必ず立ち寄った神社。
安全祈願をしたり、宿泊もしていたそうです。
こういう熊野詣の際にお祈りをし、休憩・宿泊した道の駅のような場所を「王子」と呼んだそうです。(「プリンス」、ではありません^^;)
藤白神社は王子の中でも規模が大きかったそうで、歌会や相撲などが行われていたそうです。
また、藤白神社は“鈴木性”が生まれた場所とされ、「藤白 鈴木会」という会があるそうです。「鈴木家系図」を作成したり、鈴木性の交流会「鈴木サミット」を開催したりしているそうです。
世にも珍しい鈴木家専用の御守り「鈴木家御守」なんかもあるんだとか(^^;
藤白神社を後にし、熊野古道へ。
その入口で「みかん農家」坂口さんに出会い、収穫したばかりの「ゆら早世(わせ)みかん」をいただきました。今年のみかんは雨が少なかったので小粒なんだそうです。みかんは大きさで選別されるそうで「自動選果機」も見せてもらいました。坂口さんによると、みかんは元気に育てたらダメで少し痛めつけた方が美味しくなるんだそうです。
さて、いよいよ熊野古道へ。
河田アナとくっすんが歩く熊野古道は、京都・大阪から熊野三山へ向かう「紀伊路」と呼ばれる道で紀伊田辺までつながっているそうです。熊野古道は、他にも「小辺路」「中辺路」「大辺路」「伊勢路」と、全部で5つの道があります。
まず目指すは「藤白峠」。
標高は約290m、全長は約1.8kmあるそうです。
道の途中に「丁石」(ちょういし)と呼ばれる石が置いてあります。
1丁(約109m)ごとにしるしとなる石を路傍に立て、道のりを印した石のこと。
藤白峠は全部で18個の丁石が置かれています。
スタートから約5.5km、頑張って18丁目にあたる「地蔵峰寺」に到着。
室町時代に創建され、石造地蔵菩薩坐像が祀られているお寺。「峠の地蔵さん」と呼ばれ、かつては“王子”(藤白搭下王子)だったそうです。
お地蔵さんが藤白峠18丁目の丁石を兼ねているそうです。
地蔵峰寺のすぐ近くにはため池があり、鯉が300匹くらい飼われています。
江戸時代からの言い伝えによると、肺炎や結核になった時に池から1匹の鯉を貰い、生のまま食べると病気が治ったそうです。その後病気が治ったお礼として2匹の鯉を池に返すという風習が生まれたため鯉が増えていったそうです。
なんとこちらの池の鯉は大正時代(昭和天皇が皇太子だった時代)、和歌山へお越しの際に体調を崩された皇太子へ鯉を献上し、感謝状を戴いたそうです。
このお寺の鯉は、現在池の周辺の8軒が飼育しているそうで、餌代がかなり負担になっており、募金を募っているとのこと。
くっすんはお小遣いから3000円寄付していました(^^♪
ここからしばらくは熊野古道はみかん畑の中を縫うように続いているため、道に迷わないよう地元のガイドさん(海南市 語り部の会 向井元治さん)に案内してもらうことに。
海南市下津地区は和歌山でも有数のみかんの産地。
通常みかんの出荷は10月から翌年1月にかけて収穫しますが、下津地区では12月に収穫して倉庫に1か月から3か月の間寝かすそうです。そうすることにより酸味と甘みと旨味がちょうどまろやかになるんだとか。
下津地区では「蔵出し しもつみかん」とい名前で売り出しており、熟成した2月から3月が食べ頃なんだそうです。
スタートから約9kmで峠を越えました。
熊野詣の帰り、この峠が険しいため、帰路はここから船で迂回する者もいたそうです。
スタートから約11km、「山路王子神社」に到着。
平安時代には大変多くの人で賑わった熊野詣は先刻時代から衰退し、“王子”が休憩所としての役割を終えました。
明治時代からは氏神様を祀る神社として信仰されているそうです。
(出典:http://www.wakayama-jinjacho.or.jp)
こちらの神社には立派な土俵があり、秋季大祭(10月第2日曜日)に「泣き相撲」が開催されます。
江戸時代から続く無病息災を願う神事で、生後4ヶ月から3、4歳までの幼児が相撲に参加。
赤いまわしを締めた男の赤ちゃんが氏子さんたちに支えられ相撲を取ります。
一勝一敗に終わらせるそうで、背中に土を付けたら無病息災で元気に育つと言われているそうです。
行司は氏子から選ばれた5~7歳くらいの男の子が務めるそうです。
山路王子神社の社務所をお借りして昼食。
地元の食材を中心につくられたお弁当「地域弁当」(税込1080円)をいただきました。この辺りはハモが獲れるそうです。
昼食を終え、再スタート。
スタートから約12km、次の峠「拝ノ峠」の入口へ到着。
拝ノ峠は標高約320m、先ほどの藤白峠より標高があります。かなりの急傾斜を登ります。
気力を振り絞って上る2人。途中苔でツルツル滑る道なんかもあり悪戦苦闘。
それでもなんとか頂上に到着。
そこからはひたすら下るのみ。夕焼けに染まる海南市の市街地や淡路島などを眺めながらこの日の目的地「長保寺」を目指します。
スタートから歩くこと約9時間半、2つの峠を越え、約15kmの道のりを歩き、海南市「長保寺」に到着です。
平安時代(1000年)創建。
三方を山に囲まれ、敵に攻め込まれ難いということで、江戸時代に紀州徳川家の菩提寺に選ばれたそうです。
本堂と多宝塔(二重の塔)と大門、3つが揃って国宝。
本堂は1311年創建。鎌倉時代に建てられ、外観は和様、内観は中国の折衷洋式。
多宝塔は1357年創建。純和様の作風で、細身の塔芯と二層の屋根が非常に美しいバランス。
大門は1388年創建。室町時代に建てられ、両脇にある仁王像は運慶の息子である湛慶の作とされている。
本堂・塔・大門が揃って全部国宝という寺というのは、こちらの長保寺と奈良の法隆寺だけなんだとか。
土台が動いてないとか建造物が当時の材木で作られたとか、建てられた当時のまま現存している点が重要だそうです。
放送局:MBS
放送時間:月~金 13:55~
木曜コーナー:「昔の人は偉かった」近畿 湯治場巡り・和歌山編~美人の湯『竜神温泉を目指せ』
出演者:「くっすん」こと楠雄二朗、河田アナ